時間の無駄
こんにちは、ももそです。
まとめサイトで「ソシャゲを辞めた、無駄な時間だった」というコメントを見ました。
私も似たような経験があります。
私はFGO以外のソシャゲをやっていません。
最近は惰性でやっていますが、無駄だとは感じません。
この差は、自分からやりたいと思って始めたかどうかが大きく関係しているのではないかと感じます。
私が辞めて時間の無駄だったと感じたものは艦これと遊戯王ですが、この2つは周りがやっていたから始めたものでした。
つまり、自分から始めたいと感じたわけではなく、潜在的に周りと合わせるために始めた気がします。
周りがしてなければ、私もやっていなかったでしょう。
皆さんも周りがやっているから始めることってないですか?
私もあります。
ですが、大体の行き着く先は飽きです。
本当に面白いと感じているのは最初に始めた人であり、その他は最初に始めた人に合わせている、そんな気がします。
周りに合わせるって大変ですね。
ももそは周りを削って合わせるコミュニティを減らしています、気が楽です。
友人が少ない利点ですね、あまりお金も減りませんし。
今日はここまで。
毎日ブログ書く理由はないんだから、暇があれば書く程度の面持ちで。
~おわり~
物が埋まる場所
おはようございます、ももそです。
片づけと聞けば、ももその場合は断捨離になるのですが、多くの人は物を収納することを考えるでしょう。
少し前まで、私もそうでした。
しかし、断捨離に出会ってから、少しずつ変わってきました。
実はというと、私の部屋は綺麗でした。
整っているか否かと言われれば、整っていました。
断捨離する理由は、実はあまりないのです。
ですが、断捨離に出会ってから、整っていない場所を発見。
それは収納の中です。
ふと、クローゼットの中のほぼ全ての物捨てれるな、と感じたのです。
昔使ったランドセル、授業で作った美術作品、思い出として置いているだけの品、着ない服。
...持っている理由がない。
捨てるしかないですね、そうなれば動きは早い。
ゴミ袋に色々詰めました。
そして次に、収納が減りました。
物が減り、少ないスペースでやりくりできるからですね。
しかし、変わらないことが一つあります。
それがクローゼットから流れる「気」です。
物が減ると、まず、スッキリします。
部屋が広くなり、何故かとても充実した気分に。
ふと、クローゼットの方に目をやると、やはり気を感じざるを得ません。
決着できていない物がある、君は立ち向かわねばならない。
そう言われているような感覚。
クローゼットや収納は物を入れやすいですが、同時に物が埋まりやすい。
それは断捨離をした自分とて同じです。
いまひとつ、ラインから抜け出せない自分がいる。
捨てる踏ん切りをつけられない自分がいる。
とてももどかしい。
冬服、捨てたいなぁ。
~おわり~
断捨離失敗...?
どうも、ももそどす。
舞妓になってしまいました。
前回、服の断捨離をすると言いましたが、半分失敗しました。
ある程度は捨てることができました。
しかし、必要になるかどうかが分からないものは捨てられませんでした。
必要になるかどうか分からないもの、それはこれから必要になる可能性がある服です。
つまり冬服です。
ももそは関西で暮らしています、昨日は寒かったですね。
この寒さが、ももその判断を鈍らせました。
もこもこのパジャマや上着を見た途端、暖かそう、これで冬を乗り切れる、という安心感が発生し捨てられませんでした。
一見ただ失敗しただけのように聞こえますが、転んでもただで起き上がりません。
今回失敗した理由を分析し、次に繋げます。
失敗した理由はずばりタイミングです。
今回捨てられなかったのは冬服であり、実は夏服はちゃっかり捨てています。
ここ数日は夏服を断捨離する絶好のタイミングですね、寒くなってきているし、夏を振り返って取捨選択できます。
このことから、夏服の断捨離は今のような時期が最適であることが分かります。
では、冬服の断捨離は?
はっきり言うとしたら今ではなく、夏寄りの春のタイミングでしょう。
暑さが少しずつ感じられ、冬服の出番が完全になくなったタイミングですね。
このタイミングで冬を思い出し、要らなかった服を捨てる。完璧。
要約すると、冬服は夏寄りの春に、夏服は冬寄りの秋に断捨離すべし!(ドン!!!)
昨日は正直あまりすっきりとしませんでしたが、物と向き合うことで学びが生まれることは嬉しいことです。
昨日一日で全ての服と向き合うことは、私には難しかった。
夏服は成功しても、冬服は失敗した。
しかし、そのおかげで学びがあった。
人間を囲む衣食住の一つに分類される衣は、そう簡単に手離せない、心のどこかが不安を感じる。
大切なのはタイミング。
これからも物としっかり向き合っていきたいと思う一日でした。
~おわり~
服について
おはようございます、ももそです。
服が捨てれません。
他のものは結構ひょいひょいと捨てるのですが、服は捨てれません。
理由として、自分がどれだけの服を着ているのかを理解していないことが挙げられます。
靴下と下着もそうなのですが、これだけあれば足りるという基準がないから不安になる、だから持つという安直な行動を続けている気がします。
金銭感覚について書いた時も似たようなことが起きていましたね、分からないからそこそこ稼げるところに就こうと考える。
そして実際こんなに要らないこんなに働きたくないという考えが生まれる。
服も同じく、着ない服が発生しています。
はい、要らない。
服は好きです、多分ほとんどの人は自分のファッションを気にするのではないでしょうか。
気にしない人は正直やばいです。
外見を気にしないということは周りからどう見られてもいいということであり、そこに目がいかない人はあまりにも周りが見えていないか、どうでもいいと考えています。
オタクがこれに値しますね、周り見ましょう。
因みに私もオタクです。
周りにはよく見られたいと考えていたのですが、よく考えれば意味の分からない服ばかり着ていました。
普通にパリピしていればいいのに、その道を踏み外した妥当な結果ですね、集まってもファッションの話をしない方々と絡んでいたので仕方ないです。
話が逸れましたが、要するに明らかに着ていない服を持ち続けることはエネルギーの無駄です。
今日は服を断捨離しようと考えています。
別に服なんて失敗しても季節が変わる頃に買うタイミングが来るんだし、思い切って捨てちゃえばいいんですよ。
鼻炎持ちなのでズルズル言いながら頑張ります。
~おわり~
金銭感覚と仕事観
こんばんは、ももそです。
唐突ですが、私は全然物を買いません。
だから物が増えないし、少ない物を大切にして過ごしています。
買わないとなると、勿論ですがお金を必要としませんよね。
Twitterにいる胡散臭い人みたいな話をしますが、私が働いていた時、23万円の給料をいただいてました。
就職活動をしていた時、どれくらいお金をもらえば暮らしていけるのかということをしっかり考えなかったので、「家から近くて、それなりにもらえればいいや」と考えていました。
しかし、実際に働いてみると、「使わないのにこんなにもらってどうする」という考えが芽生えました。
私の元職場では残業が当たり前で、その代わりに給料が多いという形態をとっていました。
お金をそこまで必要としていないのに、残業させられる。
正直やってられませんでした(その他諸々退職理由はありますが、それはまた別の機会に)。
私はお金が無い場合は私生活から削るタイプです。
大学時代はアルバイトもしていなかったので、ほぼ毎日お金が全くかからない生活をしていました。
こんな生活を続けていて、急に23万円もの給料をいただいたところで使い方が分からないのは当たり前です。
親の扶養内で...実家暮らしっ...!減らんわっ...!何の為に働く!使う理由がないっ...!消費0!
このようにお金が減らないと増やそうという気になりません。
しかし私は生活水準を上げる気は全くありません、そもそも生活できてるんだから、上げて生活できなくなるくらいなら上げない。
そして、働きたくない。
働きたくない理由は、責任感のある仕事を任されたくないからです。
失敗してめっちゃ怒られることが嫌いで仕方ありません。
給料引かれてでもいいから同じ仕事を永遠にしたい、ステップアップしたくない。
皆さんはこんな捻くれ者にならないように、減る環境を作りましょう。
手っ取り早いのは一人暮らしですね。
世の大学生は皆、一人暮らしをすべきだと私は考えています。
どういうことにお金が必要なのかを体験しつつ、将来に繋がる活動。羨ましい。
私はなぜか一人暮らしさせてくれません、つらい。
流石にアルバイトくらいはするべきですね。
親からの社会的信用度が皆無。
~おわり~
断捨離
こんにちは、ももそです。
昨日は少し忙しかったので投稿できませんでした。なぜ忙しかったかというと、断捨離をしていたからです。
断捨離というとなんだか知的ですが、私の場合は至って単純、要らないものを捨てるだけです。元はというと片づけをしようと思っていたのですが、私は物をあまり持っていないし、表に出ているものもかなり少なかったので、必然的に要らないものを捨てて部屋を整えるのです。
皆さんはよく捨てますか?部屋の奥で眠る、年単位で収納から出さず、使い道もよくわからないといった物は多分捨てても困りません。年単位で出さないということは春夏秋冬の中で必要としなかったということ。いつか使うならそのいつかに買えばいい。私はそのいつかに備えるために、スペースを使いたくないと考えているので捨てます。そのいつかで埃を被ったものを引っ張り出したり、壊れていたりするのも嫌ですからね。
断捨離をして気づきは様々ありますが、私の最も大切な気づきは「物と向き合っている自分」だと考えています。これは持つ、これは持たないということを考えて物を持つことと、何も考えずに物を持つことでは大きな差があります。
少し前の話をさせていただきます。クローゼットを開けて上を見ると、ジョジョのフィギュアが。ジョジョは私が好きなコンテンツの一つです。ですが、私は手放すことにしました。「何で!?好きって言ったじゃないの!ももその嘘つき!」こう思う方は多いでしょう。ですが、このフィギュアを見て、このフィギュアを大切にしていない自分に気づきました。
物というのは放置すると埃が被ります。このフィギュアにも埃は被っていました。このフィギュアは長い間放置されている、大切にされていないということになります。埃を取るくらいの簡単なことすらしない自分がそこにはある。
そして次のステップへ。このことを私はどう受け止めるのか。まず、好ましくない現状だと受け止める。そして、これはコンテンツに失礼だと受け止める。あまり語ると話が持っていかれるので語りませんが、私はジョジョが大好きです。その私がジョジョのフィギュアを大切にしていないという現実。もう耐えられません。
結果としてフィギュアは売ることにしました。捨てることは流石に難しかった。コンテンツは好き、でも大切にできない。ならば私がするべきことは、このフィギュアを大切にしてくれる人や必要としている人に譲ることでしょう。「大切にすればいいじゃん、拭けばいいじゃん」その声はごもっともです。しかし大切にするなら既に拭いているし、保存用のケースも買っているはず。しないなら物を持つことへのハードルが低い。その結果、大切にせずコンテンツに対して失礼なことをしてしまう。
私が良くないと思うことは、使わないのに持つこと。私はデュエルマスターズというカードゲームでよく遊ぶのですが、このカードゲームはプレイヤーが多いわけではなく、あまり買われないパックが発生することがあります。そのため流通が少ないカードが発生するのですが、ここで一番難しいのが手に入りづらい状態が発生すること。カードショップに行っても置いていないカードが沢山あります。そして、これに加えて使わないのに持つ人がいるとタチが悪いですよね。分かる人には分かると思いますが、再録前の二コルボーラスがまさにこの状態でしたね。まずそのものが高く、当たってしまった場合はあまりにレアなので使わないけどとっておきたい。そして使いたい人は渋々お金を払って買うしかない。レアなためにそもそもショップに置いていない。
物を大切にしていると言いながらただ持っているだけで埃を被せることはよろしくない。物と向き合うと自然と物を大切にしたり、減らしていく傾向にあります。私は減らします。大切にしたいけど、恥ずかしながらそこまでの余裕がない。余裕ができてきたら大切にしたいとは考えていますけどね。
~おわり~